東京を気ままに散歩「太田姫稲荷神社」

東京と千代田区にあります太田姫稲荷神社の入口です。 千代田区

太田姫稲荷神社は、東京都千代田区神田駿河台にある神社です。

この神社は、室町時代中期に太田道灌の娘が天然痘(疱瘡)にかかり、京都の一口稲荷神社が小野篁にまつわる縁起により天然痘に霊験があると聞いた道灌が一口稲荷神社に娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したとされています。道灌はこのことに感謝し、長禄元年(1457年)に一口稲荷神社を勧請して旧江戸城内に稲荷神社を築いたとされています。その後、城内の鬼門に祀られました。徳川家康の江戸入府後、慶長11年(1606年)に江戸城の改築により、城外鬼門にあたる神田川のほとり(現在の東京都千代田区神田駿河台四丁目、後に架けられた聖橋南詰の東側)に遷座しました。明治5年(1872年)に村社に定められ、名前も太田姫稲荷神社と改められました。社殿は関東大震災で焼失しましたが、昭和3年(1928年)に再建され、昭和6年(1931年)に現在の場所に遷座しました。

太田姫稲荷神社は、宇迦之御魂命、菅原道真、徳川家康を祀っており、古名は「一口稲荷神社(いもあらいいなり)」と言われています。

太田姫稲荷神社縁起(公式記述より掲載)

太田姫稲荷神社
古社名 一口稲荷神社
御祭神 宇迦之御魂神、菅原道真公、徳川家康公、金山彦命
鎮座地 千代田区神田駿河台一丁目二番地
太田姫稲荷神社は、極めて豊かな霊験伝承と古い由緒を持つ神社であります。
「駿河台文化史」によると当神社の縁起は九世紀に始まります。諸才を白楽天に比されるほどの詩人参議小野篁(おののたかむら)が承和六年はじめ伯耆国名和港を出港してまもなく海が大層荒れ狂い身の危険を感じたため、篁は正装をして船の舳に座り熱心に普門品(観音経)を唱えていると白髪の老翁が彼上に現れて「荒波から命を守ってやるが疱瘡を患えば一命が危ない、われは太田姫の命である、わが候を常にまつればこの病にかかることはないであろうと告げ波間に姿を消した。そのお告げを護り自ら翁の候を刻み、護持していた、後に山城国の南にある一口の里に神社を祝い祭った。江戸の開祖と知られる太田道灌の最愛の姫君が重い疱瘡にかかり絶望の中人伝に一口稲荷神社の故事を聞き急使を使わせ祈願、使者は祈祷の一枝と箒を授かり帰ると重篤の病が癒えた道灌は崇敬の念篤く場内本丸に一社建立し姫君と共に深く敬拝した。ある時この城の鬼門を守るべしとの神託があり、鬼門に移して太田姫稲荷大明神と奉唱するようになった長禄元年(1457年)のことである。
慶長八年(1603年)八月徳川家康公が江戸城へ入られた後、慶長十一年の江戸城の場内より西丸の鬼門にあたる神田駿河台東側に移されこの城を一口城(いもあらいざか、後に鈴木淡路守の屋敷が出来たので淡路城ともいう)と呼ばれた、その後代々将軍が崇拝し、修理造営は徳川家が行ったと伝えられている。

2024年例大祭の一コマ

2024年、太田姫稲荷神社例大祭の一コマ
2024年、太田姫稲荷神社例大祭の一コマ
2024年、太田姫稲荷神社例大祭の一コマ
2024年、太田姫稲荷神社例大祭の一コマ
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